第七回 深川七福神巡り「龍光院」編【豊洲マガジン】

第七回 深川七福神巡り「龍光院」編

こんにちは♪
まち なみこ です。
深川七福神を巡りながら、街で見つけたものをご紹介していくという企画の第七回目!
七福神巡りもついに最後です!!!

前回「大黒」様が祀られている円珠院の周辺を散策しましたが、ラストを飾るのは龍光院です♪
最後の神様に会いに行きましょう。
それでは、いってみましょう

出発は前回の深川七福神円珠院と同じく、東京メトロ半蔵門線の「清澄白河」駅のB2出口から出発!

龍光院の周辺にはたくさんお寺があります。
そして、そのお寺には歴史上に出て来た人等の署名人のお墓があるんです。
駅に隣接した南側は「霊厳寺」の境内があります。
そして、ここには江戸時代の有名人のお墓がありました。

楽翁 松平定信墓

皆様も歴史で名前を聞いたことがあるんじゃないでしょうか?
松平定信さんは、8代将軍徳川吉宗の孫でもあり、かの有名な『寛政の改革(かんせいのかいかく)』を行った人物です。
寛政の改革(期間:1787年~1793年)は、江戸時代中期に松平定信が老中首座に就任して、徳川吉宗の享保の改革を手本として行ったそうです。享保の改革、天保の改革とあわせて三大改革と呼ばれています。

寛政の改革といえば…「棄捐令」

旗本・御家人などの救済のため、札差(ふださし)に対して6年以上前の債権破棄、および5年以内になされた借金の利子引き下げを行いました。
一言でいえば“借金の帳消し”ですね。
この政策で、経済は一気に冷え込んでしまいました……。良かれと思って、実施した政策が裏目にでてしまい、大失敗!
でも、1793年の辞職後には白河に戻り、藩政に専念して藩校を充実させたり、「白河風土記」の編纂、一般庶民の教育機関の設置などの文教政策を進めたり、南湖の魚介養殖奨励などの殖産興業を行ったりと活躍していたみたいですね。

松平定信のお墓のすぐ近くに松平定信夫人のお墓もありました。
さぁ、龍光院へ向かいながら、もう一つお墓に寄ってみましょう♪

霊厳寺から南に70m歩くと……

成等院♪
ここには、江戸時代の豪商と言えば??
⏰チッチッチッチ………終了~!
👂ふむふむ。

そうです!大正解!!
紀伊国屋文左衛門のお墓です✨
第三回深川七福神巡り「心行寺」編でご紹介しました清澄庭園や第五回深川七福神巡りの「富岡八幡宮」でも登場しましたが、深川では紀伊国屋文左衛門の歴史をたくさん感じることができます。

「成等院」から三好2丁目の交差点を直進~👟👟

三好三丁目の交差点までいくと…

「龍光院」がありました!!!


こちらにはあの戦いの神!
毘沙門天様!!

毘沙門天様は四天王(持国天・増長点・広目天・多聞天)という仏教を守護する神様…護法善神の中の最強と言われる強い神様と言われて、元々はインドの神様でもともとヒンズー教の財富の神であったクヴェーラ神が仏教に取り入れられ、仏神となったものです。

上杉謙信、武田信玄、豊臣秀吉、徳川家康なども毘沙門天に戦勝祈願をしたようです。
武将の間では戦いの神様でしたが、民間では商売繁盛や金運・財運が上がる福の神として信仰されたようです。

ご利益

商売繁盛・金運財運向上・武運長久・勝運・開運長久・厄除開運・勇気や決断力

毘沙門天様の像は建物の中にあるそうです。この日はお姿を見れなくてちょっぴり残念でした。(2019年の御開帳日:1月1日~15日)

入口には大きな石塔♪

『石造五輪塔』
江東区の有形文化財に指定されています。現状は空輪が三つから成っていることなど五輪塔としては特異な形態をとっていますが、空輪と風輪は一石から造られて上部の二つの石は後に積んだものだそうです。高さ約3.5メートルという区内有数の大きな五輪塔で、地輪に貞享3年(1686年)の銘が見えますね。
関東大震災慰霊のために旧墓地から移築したと伝えられておりますが、元来はだれの供養塔であったかは不詳なようです。

そして、もう一つ龍光院の特徴は、この地面。

「二河百道」
唐の時代の僧、善導が書いた『観無量寿仏経疏』という本に出てくるたとえ話で、人生の厳しさと阿弥陀仏の救いを表現しているそうです。
二つの河とは“火”“水”の河で、それぞれ自分の心の中にある「いかり・憎しみ」、「こだわり・むさぼり」を表しています。
二つの河に挟まれた一本の白い道が極楽往生を願う清らかな心。
西の阿弥陀様に向かって一直線に延びています!
人生とはこの二河の間を歩むがごとき苦しいものだと説き、阿弥陀様が常に声をかけ導びこうとされている様子を描いています。信仰を持つことの大切さと心強さを表しており、図題としてもかなり人気のあるお話だそうです✨
正門から境内を見て、本堂の中央に、左に、右にの石が敷かれていて、ここに立つと物語の登場人物になった気持ちになります。

周辺も散歩がてら有名人のお墓へ行ってみましょう♪
龍光院から三好三丁目の交差点を40mほど北に進むと

『雲光院』があります!

入口には

「阿茶局の墓」という文字が見えます。こちらの中にお墓があるそうです。
皆様は阿茶局をご存知でしたか?
実はすごい女性です!

阿茶局(あちゃのつぼね)
武田信玄の家臣である飯田直政の娘として1555年2月13日甲府で生まれました。須和という名前だそうです。
父の直政は武田信玄と今川義元が和睦した時に今川家の家臣となったそうです。
須和は19歳の時に結婚をしていますが、23歳の時に死別してしまいます。その後、25歳の時に浜松城に召されて、徳川家康の側室になったようです。
美貌だけでなく文武両道で徳川家康からもっとも寵愛された女性としても知られています。
家康の死後に江戸に移り、竹橋に屋敷と300石の化粧料が与えられ、『雲光院』と号したが剃髪はせず、秀忠の没後に正式に剃髪したともされています。こちらの『雲光院」は阿茶局が開山されたそうです。83歳で亡くなられて、こちらに葬られたようですね。

最後にもう一つお墓を巡りましょう。
三好三丁目の交差点を南に400m♪

「間宮林蔵之墓」
間宮林蔵=樺太というイメージ!!
江戸時代に樺太が島であることを発見した、江戸時代後期の徳川将軍家御庭番、探検家です。シーボルトは後に作成した日本地図で樺太・大陸間の海峡最狭部を「マミアノセト」と命名したくらい、当時は有名人だったみたいですね!

本日はいろんなお墓を巡りました。そしてメインでもある深川七福神!

七つの神様をすべて巡りました✨

第一回深川七福神「深川神明宮」編から3ヶ月が過ぎ…いつのまにか夏が過ぎて秋の気配がただよい始めてきました。
七福神を巡りながら、深川のいろんな場所を巡り、史跡やお店・建物等をいろいろ見てきました。気付いていないだけで、もっともっと素敵な発見があるかもしれませんね💗
今回は御開帳していない場所もありましたので、皆様が行かれる時はお正月がおすすめです♪
タイミング合えば、また私も七福神をもう一回巡ってみようかな♪
皆様もback numberを読みながら深川の街を七福神を巡って歩いてみてはいかがでしょうか。

龍光院へのアクセス 
東京都江東区三好2-7-5
地下鉄半蔵門線清澄白河駅B2番出口
大江戸線清澄白河駅A3番出口
都バス清澄庭園又は白河2丁目
電話:03-3642-3437

―back number-
第一回深川七福神「深川神明宮」編
第二回深川七福神「深川稲荷神社」編
第三回深川七福神「心行寺」編
第四回深川七福神冬木弁天堂」編
第五回深川七福神「富岡八幡宮」編
第六回深川七福神「円珠院」」編

まち なみこ

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